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●前作『THRASH CATS CRISIS』以来なので、約6年ぶりの取材になります。覚えてますか?
寿々喜 覚えてますよ!
●新宿LOFTの楽屋で取材したんですが。
寿々喜 ・・・・・・。
植野泰治&照井仁 はははは。
●ええと、取材を始めます(笑)。今作はいろんな意味で激変しましたね。ものすごく赤裸々な作品になったし、「独り言」という曲名もありますが、歌詞も一人の男の告白みたいな内容ですね。
寿々喜 そうですね、内容的には。
●今作の中身は追って聞きます。まず知らない人のためにも改めてPULLING TEETHの成り立ちから紐解きたいと思ってます。寿々喜さんが初めてやったバンドはLAWSHEDですよね?
寿々喜 うん、それが初めてですね。それを脱退して、TAKE-SHITに声をかけてもらってCOCOBATをやり、それを脱退してGRUBBYを組むという。
●トントンと行きましたね。
寿々喜 トントンでもないですけどね。
●いや、寿々喜さんの説明が。
泰治&仁 はははは。
寿々喜 そこから濃い行くんですかっ!
●濃くというか、PULLING TEETH結成までの流れをおさらいできればと。LAWSHEDの90年のライヴ映像を、自分たちのSNSでも拾ってましたね?
寿々喜 自分が観たかったから(笑)。あれはUNITEDが1stアルバムの発売ツアーにLAWSHEDが抜擢されて、前座で全国を10数カ所回ったんですよ。あの映像は札幌のライヴで、懐かしいなと。
●改めて思うことはありました?
寿々喜 う~ん、痩せてるなと。
泰治&仁 はははは。
●寿々喜さん、腰ぐらいまで髪の毛がありましたよね(笑)。
寿々喜 当時は髪を洗った後、どのトリートメントを使うか、そんな話をしてました。
泰治&仁 はははは。
●寿々喜さんがトリートメントの話を!
寿々喜 やっぱり「ティモテ」だなと。
泰治&仁 ははははは。
寿々喜 スラッシュメタルは髪の毛の長さがバンドの音楽性を物語っていましたからね。LAWSHEDはスラッシュメタルだけど、リーダーをやっていたベースがプログレ好きで、変拍子も結構入れましたね。試行錯誤してました。
●試行錯誤ですか?
寿々喜 そういう古い話はいいじゃないですか!
●いやいや、聞かせてくださいよ。
寿々喜 スラッシュメタルの中でも細分化されて、モーターヘッド寄りのスピードを求めてないもの、ただ闇雲に速さを求めたもの、重いスラッシュとか、いろいろありましたけど、その中で埋もれないようにしたくて、変拍子のリズムを取り入れようと。
●変拍子はどの辺の音楽から影響を受けて?
寿々喜 KING CRIMSONも好きで聴いてましたからね。まあ、当時は21、22歳のガキがやっていたものなので、それなりですよ。もう、20数年前のことだから・・・。
●その後にCOCOBATを結成するわけで、また音楽性も変わりましたね。
寿々喜 そうですね・・・自分だけ話をさせてもらって、申し訳ないですけど。
仁 いえいえ、大丈夫ですよ!
寿々喜 で、LAWSHEDの時に知りあったkumaという奴がいて、そいつはOUTRAGEのローディーをやってたんですよ。
●BEDLAMというバンドをやってましたよね?
寿々喜 そうですね。
●BEDLAMのライヴはよく観に行ってました。かっこいいバンドでしたよね。
寿々喜 そいつから「寿々喜さん、これかっこいいですよ!」と聴かされたのが、PANTERAの『COWBOYS FROM HELL』だったんですよ。ああ、これはかっこいいなと。LAWSHEDでも今度遅い曲を作ろうと思っていた矢先にやめたから、当時アイデアを温めてたんですよね。で、TAKE-SHITから「スラッシュメタルのギターとRED HOT CHILI PEPPERSみたいなグルーヴを入れたい!」と言われて誘われたんですよ。それでCOCOBATを始めました。
●それこそ、「Cocobat Crunch」も寿々喜さんが作った曲ですよね。
寿々喜 そうっすね。あの辺のリズムはそうですね。
●音楽的には自分のやりたいことができた?
寿々喜 まさにドンピシャ!でしたね、あの1stアルバム(『COCOBAT CRUNCH』)は。スラッシュメタルが大好きで上京して、スラッシュをやりたいと言ってたけど、反スラッシュメタルではあるけど、それに劣らないリズムをやりたいという思いがあのアルバムには込められてますね。あれはハマッたと思います。このリズム来たな!と思いましたもん。ちょっとスラッシュメタルから離れて、寂しかったのかな。
仁 はははは、寂しかったのかなって。
●寂しかったというのは?
寿々喜 いざCOCOBATで活動すると、TAKE-SHITが持ってくるライヴはこんなバンドいるの?みたいな全然知らないジャンルの人たちと対バンすることが多くて。そうすると、自分の先輩や同期のバンドと距離ができて、一緒にやる機会もなくて、あれ?って。
仁 それで寂しくなっちゃったと(笑)。
●どの辺のバンドとよく対バンしてました?
寿々喜 ニューキーパイクス、ボリュームディーラーズとか、その辺ですね。
泰治 横浜でよくガスボーイスをやってませんでした?
寿々喜 そう! でも対バンが長髪なのは自分たちだけみたいな状況だったから。それもあり、寂しかったなあ〜!
泰治&仁 ははははは。
●それでCOCOBATもやめる形になります。
寿々喜 COCOBATはあまり外に出たがらないバンドで、行っても名古屋、大阪、仙台ぐらいだったんですよ。バンドの欲が出てくると、もっといろいろと回りたいのに、案外ほかのメンバーはそう思ってなくて。
仁 スー(寿々喜)さん、行こうぜ!って言わなかったの?
寿々喜 当時は車もないし、行きようがなくて。
●移動はどうしてたんですか?
寿々喜 当時TAKE-SHITが働いていた「ディスクユニオン」で車を借りてきてたんじゃないかな。
●そして、寿々喜さんはGRUBBYを組むことになります。
寿々喜 そうですね。4、5年活動してきたから、このバンドでは特に曲作りで意識したこともなくて。とりあえず、メンバーがいりゃいいかなと。で、COCOBATのHIROSHIと一緒にバンドをやろうと。ベースは確かHIROSHIがライヴを観て、いいプレイヤーがいたと言って連れてきたんですよ。AKIRAは「プレイヤー」みたいな音楽誌のメンバー募集で見つけたんじゃないかな。
●メンバー募集とはいえ、よくAKIRAさんのようなヴォーカルが見つかりましたね。
寿々喜 あの時に珍しく「当方、ROLLINS BAND好む」と書いてて、おっ、ROLLINS BANDを歌える奴がいるんだって。それで連絡を取ったら、奴だったんですよ。
●GRUBBYでは何かに寄せた音楽というより、とにかく新バンドをやりたかった?
寿々喜 漠然とLAWSHED、COCOBATではやらなかった曲調をやろうと思ってました。あとは、AKIRAの個性ですかね。奴が歌えばGRUBBYになるみたいな。冷静に思い返せば、そうですね。
●LAWSHED、COCOBATでもやらなかった音楽とは?
寿々喜 そんなに深く考えてないですよ。何となく浮かんで来たものをやろうと。ただ、AKIRAが自宅で録って、持って来た歌が一番かっこ良かったですね。でもレコーディングすると、そこまでのクオリティに行かなくて、本人は最初の頃は悩んでましたね。
●なるほど。GRUBBYでは途中でウッドベースを入れますよね? そこで現在のPULLING TEETHの音楽性に繋がるスタイルができたと。
寿々喜 そう、いいところに持って行きますねえ!
仁 はははは。
寿々喜 ウッドベース自体は中学の頃からストレイキャッツを聴いてたし、それで好きだったんですよね。それで実際に目の当たりにしたのは、COCOBATをやってた頃にスキャンプのレコ発に出たこともあって、初めてウッドベース、サイコビリーと言われる音楽を体感して、すげえ!なと。で、GRUBBY初期でも仙台でGREAT INVADERSのと対バンした時に、ウッドベース凄いなと。機会があれば、ウッドベース入れてみてえなと。で、ベースとドラムが脱退したから、次はウッドベースだと思って探したんですよ。ウッドベースを入れる前、1本だけ泰治がGRUBBYのライヴで弾いてるんですよ。
●その当時の映像も自分たちのSNSで拾ってましたよね(笑)。
寿々喜 当時、泰治がウッドベース使っていたら、泰治がGRUBBYに入っていたかもしれないな。
泰治&仁 ははははは。
泰治 当時はベース始めて1年ぐらいでしたからね。
寿々喜 あっ、そんなものだったんだ!
泰治 だから、ウッドベースまでは行かないですよ(笑)。
寿々喜 最初はギター弾きだったもんね?
泰治 ギターをやりたくて上京したけど、なかなか倍率が高くて。それからRED HOT CHILI PEPPERSのフリーを観て、ベースをやってみようと。もちろんCOCOBAT、GRUBBYは知ってましたし、GRUBBYの打ち上げにも行ってたので飲まされるわけじゃないですか。そうこうするうちに、寿々喜さんに声をかけてもらって。
寿々喜 大体、帰る時にGRUBBYの機材車の後ろに泰治が乗ってたからね。
泰治&仁 ははははは。
●泰治さん、GRUBBYで弾いた時は覚えてますか?
泰治 無我夢中だったので覚えてないです。映像も観たくないですもん(笑)。
●話を戻しましょう。GRUBBYでウッドベースを導入してから、曲作りも変わりましたか?
寿々喜 実際それ向けの曲を作ったことがなかったので、果たしてどうなるかな?と思ったけど。実際やってみると、すんなりハマりましたね。
●特に参考にしたバンドもいなかったんですか?
寿々喜 特になかったですね。ビリー系の激しさと指弾きの渋い感じ、この2つができるウッドベースは凄いなと。それは今の音にも繋がってますね。
●泰治さんはGRUBBYをどう観てました?
泰治 普通にかっけー!と思ってましたよ。ライヴもよく観に行ってましたからね。知り合いになる前は「うわ、寿々喜だー!!」、「AKIRA、かっけー!」と言ってました。
仁 わかるわかる(笑)。ライヴハウスから出て来たときに「おおー!」って。でもあんまり観てたら、殺されそうって。
全員 ははははは。
仁 GRUBBYを手伝った時、泰ちゃん(泰治)は10代?
泰治 いや、21歳ぐらいじゃないかな。
仁 そうか。じゃあ、俺は18、19歳ぐらいだな。当時、怖かったですよね?
寿々喜 そうでもないでしょ!
仁 いやいや、何を言ってるんですか(笑)。
全員 ははははは。
仁 寿々喜さんがギター弾いてると、俺の中で「あっ、寿々喜さんだ!」と思う瞬間があるんですよ。それは今回のレコーディング中にもありました。うわっ、怖!って(笑)。表情というか、オーラが半端ないんですよ!
●寿々喜さん、心当たりは?
寿々喜 ない! 自分のことはわかりません(笑)。
INTERVIEW BY 荒金良介
Vol.02 へ続く
●そして、PULLING TEETHは97年に結成されます。
寿々喜 当時、心の奥底でAKIRAより絶対早く動いてやろうと思って。そしたら後日、あいつも「寿々喜さんより早く動こうと思ってた」って。やっぱりなって。
仁 ははははは。
●AKIRAさんが組んだALL LIVING THINGSより、PULLING TEEHTHの方が動き出すのは早かったですよね?
寿々喜 そうですね。
●それは負けたくないという気持ちから?
寿々喜 負けたくないというか、バンド浪人になっちゃうから。
●寿々喜さんにとってPULLING TEETHは4バンド目になるわけで、こういう音楽をやろうという明確なビジョンはあったんですか?
寿々喜 何かあったよね?
泰治 スタジオで「速いスラッシュをやりたい」と言ってたのを覚えてますね。
寿々喜 速いスラッシュだっけ? 俺は重いスラッシュと言った気もするけど。
泰治 とにかくスラッシュという言葉は出てましたね。最初のスタジオで俺とHIROSHIと当時ヴォーカル予定の奴がいたんですよ。
寿々喜 いたっけ? ああ~、あいつだ! いたなあ(笑)。
泰治 ほんとの最初は4人でスタジオに入って、寿々喜さんが「バンド名決めたんだよ、SPEED KILLSって言うんだよ!」って。ええー、マジっすか?!って。
●それはどっちのマジ、ですか?
泰治 ハァーって、そこはご想像におまかせします。
仁 わはははは。
泰治 それで寿々喜さんも同じことを思ったんでしょうね、「やっぱりあれはナシで!」って。それでPULLING TEETHというバンド名に決まったんじゃなかったでしたっけ?
寿々喜 うん、俺はクリフ・バートンが好きだったし、ギターの形もそこから由来してますからね。バンド名どうしようかな、あっ、クリフ・バートンのベースソロの曲名でいいかなって。そんな感じだったと思います。バンド名はどれだけパッと付けようと、深く考えようと、結局後から付いてくるものだから。そのうち知られるだろうって。
●4人でスタジオに入っていた頃は覚えてます?
寿々喜 4人でいたことなんて覚えてなくて、今言われて思い出しましたからね(笑)。スタジオに入ったのは1回ぐらいじゃない?
泰治 2回ぐらい入りましたね。
仁 何か違うなと思って、いなくなったんですか?
寿々喜 こんな歌なら、いらねえじゃん!って。誘っておいて(笑)。これだけ時間が経つと、思い出せないこともあるもんだなあ。
仁 はははは。
寿々喜 俺は勝手に3人で始めたもんだと思ってた。で、3人で始める上で思っていたことは、3人だとヴォーカルがいない分、一人ずつの責任の比重も増えるじゃないですか。俺も声を出さないといけないし、それで泰治にMCをまかせたんですよ。
●でも寿々喜さんは、元来3ピース体制のバンドはやりたくなかったんですよね?
寿々喜 えっ、3人?!みたいな気持ちはありましたね。自分の好きなバンドがKISS、LOUDNESS、METALLICA、みんな4人編成だったから、4人が理想像だったんですよ。3人でいいのかな?と思ったけど、やったことがないことに一歩を踏み出す度胸が必要だなと。じゃあ、やってみようと。
●その挑戦心はどこから来てるんですか?
寿々喜 自分が田舎から出てきた時点で挑戦ですからね。自然と身に付いたものですよ。
●常に未知の世界に飛び込んでやろう、という気持ちがある?
寿々喜 そりゃありますよ! LAWSHEDは俺がいた頃はまだ下っ端バンドだったけど、COCOBAT、GRUBBYなり、そこそこお客がいても、新しいバンドを組むと、またゼロからやるざるを得ないわけじゃないですか。PULLING TEETHもたかだかGRUBBYのギターが始めたバンドだから、誰も見向きもしないのはわかってるし。挑戦というのは・・・俺にとっては通らざるを得ない選択肢ですね。また、それをやらずして何も起こらねえと。
●人がやらないことやったり、誰よりも負荷をかけて物事に取り組まないと、掴めるものも掴めないと。
寿々喜 それで掴んだものの方が大切かなと。俺が掴んだものは・・・10何年一緒にやってきた泰治、そして、照井君と会えたのも俺がずっと頑張ってきたからこそ出会えたメンバーですからね。
仁 あざっす!
泰治 泣いていいですか?
仁 飲みに行きますか?(笑)。
●ははは。寿々喜さんはPULLING TEETHでヴォーカルに初トライしてますよね?
寿々喜 そうっすね。やってなかったこと、やりたくなかったことを、やってみようと思っちゃうんですよ、性格的に。どうせダメだろうと思うけど、そういう欲があるんでしょうね。
●小さい頃からそういう性格でした?
寿々喜 いや、それはないですよ。小さい頃はどこにいるのかわからないような、存在感が全くない子供でした。ワタクシは音楽と出会ってからです。
●音楽と出会って、挑戦心が芽生えてきた?
寿々喜 そうっすね。
●それはなぜですか?
寿々喜 なぜと言われても困るけど、音楽にはそういう力があると思いますよ。俺は音楽では食ってないけど・・・今建築現場で働いてて、周りはみんな音楽関係の人たちばかりなんですよ。すべてのきっかけは音楽ですね。音楽に力あり、以上です!
仁 締めちゃった。まだアルバムの話は全くしてないのに(笑)。
●泰治さんは初期PULLING TEETHを振り返って思うことは?
泰治 COCOBAT、GRUBBYも好きで聴いてたし、寿々喜さんと一緒にやれることがとにかく楽しみで。当時、寿々喜さんが歌うと言った時も「OKっす!」みたいな。
●やはり、ヴォーカルは試行錯誤しました?
寿々喜 試行錯誤ですよ! それまでコーラスの手伝いぐらいしかやったことがなかったから。声の作り方、出し方を探るためにツアーを増やしましたからね。
●過去に1年で150本以上のツアーをやりましたよね?
寿々喜 それも声作りのためですね。
●実際、ツアー前と後で変わりました?
寿々喜 声は結構太くなりましたね。150本、やって良かったと思いましたもん。数は裏切らないと実感しましたね。
●PULLING TEETHとしては今年18年目に突入します。ここまで続いた理由というのは?
寿々喜 それは泰ちゃん(泰治)に語ってもらいますか。
泰治 根底は楽しいからでしょうね。音楽をやるのもそうだし、寿々喜さんとやることが楽しいから、続けられるんでしょうね。振り返ってどうかと言われると、一言では言えない。これだけ期間が長いと、生活の一部になりすぎて、振り返ってどうこうもないんですよ。多分これからも続けていくだろうなって。
寿々喜 良いこと言うねえ!
●今それが言えるのは素晴らしいですね。
寿々喜 俺なんてPULLING TEETH始めたのが30歳ですからね。今の時代、何歳になってもやれますからね。自分がLAWSHEDをやってた頃は21、22歳で、周りに25歳の人がいると、そんな歳でもやってるの?!と思ってましたからね。時代が変われば、自分よりもまだ先輩も活動してるし、いい時代になりましたね。で、自分も18年目に突入して、どうかと考えると、特に何も変わらず自然の流れで来れたかなと。
●なるほど。それで前作『THRASH CATS CRISIS』はレーベル「デンジャークルー」からリリースしました。その前後に顔をメイクするようになりましたよね?
寿々喜 「抜歯十番勝負」(09年)の時に目の周りを黒く塗ったのかな。
●何か理由でも?
泰治 ちょうどその年に僕が結婚して、結婚パーティーで寿々喜さんがミスフィッツの余興バンドで目の周りを塗って。「いいっすね!」と言ったら、寿々喜さんも「いいだろ!」って。チャレンジしとけよって!
全員 はははは。
寿々喜 そう、チャレンジですよ!
泰治 確かそれがきっかけですね。
寿々喜 当時、泰治の髪型もデビロックヘアーだったから、じゃあ、ミスフィッツのカヴァーをやろうと。で、目の周りを黒く塗ったんですよ。
泰治 だから、楽しみの中の一つという感覚ですね。こう見られたいというより、自分たちが楽しむためにみたいな。
寿々喜 これがやってみると新鮮なんですよ!
●気持ちも違いますか?
寿々喜 中学の頃にKISSのマネをして楽しんでいたような感覚ですね。バンドやってること自体が楽しみの一つだから。
●中学時代の寿々喜少年に返るような感覚?
寿々喜 少年に返りますね。自分のルーツにKISSがあるから、白塗りしても自分では違和感がなくて。自分もこの歳なので、やりたいことは何でもやってみようと。それがKISSの白塗りでもあるのかなと。
●目の周りを黒く塗って、顔は真っ白・・・すごくシンプルなメイクですよね?
寿々喜 あれはあれで楽しいんですよ(笑)。やってないことをやるのは面白いですよ。
●現在はどういうメイクで?
寿々喜 顔は白く塗って、目の周りを黒く塗るのは気分次第ですね。
●気分次第なんですか!
寿々喜 ただの真っ白も面白いんですよ。あれに★のマークを描いちゃったら、完全にKISSになっちゃから(笑)。
INTERVIEW BY 荒金良介
Vol.03 へ続く
●そして、前作から今作まで約6年空きましたね。
寿々喜 前作以降、自分のことを言えば仕事を探してました。40歳過ぎて職を探すのは至難のわざで、それに明け暮れてましたよ。「フロムA」を見たりして、音楽どころじゃなかったですね。なかなか落ちついて、バンド活動もできなくて。前作のツアー後は年に5、6本ぐらいしかライヴやらなかったよね?
泰治 そうですね。ペースは落ちましたね。
●今作にも繋がる部分だと思いますが、11年の震災の影響がやはり大きかった?
寿々喜 自分はでかかったですね。震災が起きた日も普通に仕事をしてましたからね。で、今回は日本語詞でわりと演歌風なことを意識したけど、実は震災前に2曲ぐらい作ってたんですよ。その時から自分の中で「演歌やりてえなあ」と思ってたんですよ。
●そうだったんですか!
泰治 前作のツアー中にもちょこちょこ出ていたキーワードでしたね。演歌、打ち上げで寿々喜さんが歌うトラクターの歌とか。
仁 ははははは。いろいろ歌ってますね。
泰治 だから、演歌的なところに関しては震災とあまり関係ないですよね。
寿々喜 うん、アプローチの仕方はね。アルバムの内容は震災があって、そこで運命づけられたところはあるけど。震災前に次のアルバムを出せるなら、こうしたいという意識はありましたね。
●ちなみに震災前にあった2曲というと?
寿々喜 「男」と「フッコーブシ」かな。その2曲は原形ができてたんですよ。でも歌が乗るまでは想像付かなかったでしょ?
泰治 はい、どうなるかはわからなかったですね。まあ、まさか寿々喜さんが着物を着るわけじゃないだろうし(笑)。
●寿々喜さんが演歌をやりたいならどうぞ、みたいな感覚ですか?
泰治 はい。「演歌が気になるんだよね」と言われた時も、「ああ、そうなんですね」って。ただ、今回はできあがるまで、どんな内容になるか全くわからなかったです。
●寿々喜さんはなぜまた演歌をやりたいと思ったんですか?
寿々喜 う~ん、演歌というのは昔からあるものじゃないですか。父ちゃんが演歌好きだったし、小さい頃から耳に馴染んでますからね。テレビ、ラジオからも演歌が流れてくるし、特別な音楽でもないと思うんですよ。改めて聴くと、何か引っかかるものがあるんですよね。何だろう、小さかった自分を思い出しているのか・・・それはわからないけど、演歌は心の故郷に帰るような感覚があるんですよ。それもチャレンジ精神でしょうね。演歌と言っても、いわゆるフラットバッカーがデビューした頃はああいう楽曲にすげえビブラートを効かせた歌が入って、よく演歌とか言われたけど、あれとはまた違うものだと思ってる。今思い出したけど、前作を出した時に、いつまでに歌を上げてもらえますか?と言われて、そんな期間でやれるわけねえじゃんって、一度ツッパねたんですよ。でもリリース日も決まっているから、この期間で終わらせたいと。で、個人練習にも入ったけど、自分の声を掴み切れないまま世に出した悔しさというか、反動もあったんですよね。
●前作収録の「SLUGHTER TRAIN」でもメロディアスな歌声にチャレンジしてましたからね。
寿々喜 今思うと、もっとやれたんじゃないかなと。
●それでバンド的には10年間、PULLING TEETHの屋台骨を支えてきた智也さんが抜けて、仁さんが加入しましたね。
寿々喜 サポートでやってとお願いしたその日にメンバーになりましたからね(笑)。
●それが東北で開催された「AIR JAM 2012」の東北ライブハウス大作戦STAGEですよね?
寿々喜 そうですね。前日にリハに入って、ライヴ2、3本あるから、サポートでやってよ?と言って、次の日に「おまえメンバーだろ!」って。
仁 付き合いが長いので、やり口はわかってましたけどね(笑)。覚悟してサポートもOKしました。
●仁さんに声をかけた理由は?
寿々喜 「AIR JAM」も仙台でやるし、照井君は盛岡に住んでるし、近いからいいかなって。「仙台まで1時間でしょ?」って。
●仁さんはPULLING TEETHに加入して、いかがですか?
仁 楽しいですね。
寿々喜 知り合って長いから、普通すぎちゃって。
仁 16、17歳の頃から寿々喜さん、泰ちゃんと会ってるし、自分がPANORAMA AFROをやめた後も連絡を取り合ってましたからね。
泰治 初めて音合わせをした時にもすごく馴染んでたんですよね。
仁 そう。だから、リハに入ってもあまり練習させてもらえないんですよ(笑)。「おまえはできるからいいだろう!」って。
寿々喜 1回入れば、大体その人の力量はわかるんですよ。
仁 一度やったことがなかった曲がライヴのセットリストに入ってた事件もありましたけどね(笑)。
●では、今作の制作はいつ頃から始まったんですか?
寿々喜 震災前にあった2曲は、震災以降にアイデアが吹っ飛んじゃって。自分もバンドを続けられるかどうか、瀬戸際でしたからね。実際、曲作りを始めたのは照井君が入ってからですね。
●ああ、そうなんですね。
仁 SLANGのKOさんから一昨年の秋ぐらいに話をもらって、「良かったら、ウチ(IN MY BLOOD RECORDINGS)から出さない」と言われたので、それをスーさん(寿々喜)に伝えたんですよ。で、よろしくお願いします!と。
寿々喜 即決でしたからね。俺はKO君と知り合って長いけど、ほとんど話をしたことはなかったんですよ。ただ、震災の時に鉄槌のドラムの千葉君経由で、KO君が物資を回してくれたので、非常に有り難い親分みたいな存在だから、その人が誘いを断る理由がないと思って。ほんとに結構な数の物資を回してくれましたからね。
●そうなんですね。それから現3人でアルバム制作に入った?
寿々喜 そうですね。最終的に去年の11月に歌作りを始めたんですよ。
●わりと最近なんですね。
寿々喜 そうなんですよ。オケが完全に決まってから、歌を乗せようと思って。
●いつも通り、作品を作る上ではメンバー間であまり話し合うこともなく?
泰治 はい、そうですね(笑)。
仁 「やっていいですか?」、「ああ、いいよ!」って感じですからね。
寿々喜 演歌風に歌おうと決めていたけど、実際は浮かんで来るまで待ってたという表現の方が正しいですね。降りて来たら、そのメロディを録音して、形にする。それから歌詞を書きました。歌詞も浮かんでくるまで待って、よし来た!と思ったら、一気に7曲ぐらいできたんですよ。流れるように言葉が出てきちゃって。
●演奏はPULLING TEETHらしさはあるものの、やはり寿々喜さんのヴォーカルが一番の変化ですよね。
寿々喜 前作からの年月を考えると、子供の顔だって変化するでしょ?みたいな。
●でも、自分が日本語で歌う日が来るなんてイメージしてました?
寿々喜 してない。歳も歳だから、そろそろいいでしょって。やってないことをとにかくやりたいから。それが日本語であり、演歌的なアプローチであり、今回は狙ったわけじゃなく、自然にやれましたよ。うまく乗るものだなって。
●1曲1曲、歌い方を変えてるんじゃないかと思うほど表情は豊かですね。
寿々喜 そうですね、父ちゃんに演歌を聴かせてもらって良かったなと。根底にはそれがあるんでしょうね。
●お父さんはどの辺の演歌を聴いてたんですか?
寿々喜 昭和40年代にテレビで流れていたような北島三郎、森進一、ビッグネームしか聞いてないですよ。
●昭和の任侠映画に出てくる俳優みたいな、セリフっぽい歌い回しがユニークで。寿々喜さんの歌声は誰にも似てませんね。
寿々喜 根が東北人だから、その差ですよ。関西人が同じことをやっても、こういうニュアンスは出せない。俺が東北人であるがゆえに、言葉と言葉の間に訛が入ってるんですよ。それは自然ですからね。なんだろ、たまに「ん」が入るんですよ。
仁 ああ~!
寿々喜 根底にあるのは東北ですよ。すげえ意識したと言えば、シンプルなメロディと少ない言葉数にしようと思ったくらいですよ。
泰治 歌詞カードを読んだ時に、多少なりとも寿々喜さんの人間は知ってるので、普段言ってるような言葉だなと。ほんとにウソのない言葉を歌詞に書いてるな、という印象は受けました。かっこつけてるわけでもなく、説教するわけでもなくみたいな。
●演奏面で変化ありました?
泰治 プレイ面は変わらないですね。自分のやりたいことはわかってますから。今回はエンジニアも前の人と同じだし、信頼関係もありますからね。
仁 演奏はやりやすかったです。俺は前のPULLING TEETHを知らないし、前のドラムと同じことをやってもしょうがないですからね。まあ、百戦錬磨の人と一緒にやってるので気持ちは楽でした。
寿々喜 照井君とは今回初めて曲作りからアルバムまで一緒にやったけど、俺がいままで曲を作ってきた中で一番完成度が高いですね。
仁 これ太字で書いてください(笑)!
寿々喜 俺が思い描く曲の像を100%形にしてくれましたからね。逆に照井君ここまでやるのかい!って、ビックリしました。
仁 ははは、嬉しいっすね。
寿々喜 案外、いままでの曲はアレンジを煮詰めるまでいってなかったのかなと。今回は背中の痒いところまでかけました。
●作品のテーマ自体は震災の影響が色濃いですよね?
寿々喜 それはもうハズせないですね。震災前後の自分の生活を含めて、歌にしたいなと。英語詞でやってる時は辞書で言葉を調べて、叫ぶような感じでしたからね。いざ自分の言葉でやるとなると、自分で責任が取れるようなものしか書けない。そうなると、自分の生きてきた時間の流れしか反映できなくて。48年生きて・・・若いものに言えることもあるし、同年代のおっさんたちにもわかる言葉があるんじゃないかと。曲の並び的には自分の年表になってるんですよ。最後の3曲は別ですけどね。
●どの歌詞にも寿々喜さんがいる、という印象です。
寿々喜 そうっすね。バレたらかっこ悪いから。自分の身の丈に合ったことしか書けないなと。
泰治&仁 はははは。
寿々喜 「俺は年収、何千万~♪」とか歌っても、バレちゃうから。
仁 それ歌います(笑)?
全員 ははははは。
●とにかく、寿々喜さん歌声と歌詞、両方とも素晴らしいです。味わい深いというか。
仁 いいですよね。
寿々喜 ありがとうございます! 言い忘れたけど、いままでの歌声だと、ライヴで1時間もたないんですよ。いつか普通の声で歌えるようになったらいいなあという気持ちもあったんで、日本語詞で歌い回す感じなら、20曲1時間ぐらいのライヴもできるかなと。
●ライヴも想定に入れて。そして、1曲目「和を背負う」からインパクトがありますね。JUDAS PRIESTの「Painkiller」のごとく激しい2バスで幕を開けますね。
寿々喜 俺はPRIEST一枚しか聴いたこないんで、「Painkiller」はわからないんだけど(笑)。その2バスは何からヒントを得たかと言うと、花火大会なんですよ。
●へぇー、そうなんですか!
寿々喜 まさに和なんですよ。毎年、隅田川の花火に観に行ってるんで。冒頭19時からエッ!と思うくらい花火がドドドドドッと打ち上がるんですよ。それが2バスの連打みたいだから、絶対2バスだけのパートを入れようと。
仁 思ったよりも速かったですけどね(笑)。
●それは説明を聞かないとわからなかったです。
寿々喜 あれは花火なんですよ!
泰治 初めて知りました(笑)。
●内容は刺青のことを歌ってますよね。
寿々喜 等身大の自分を歌詞に反映させた。それだけですね。背中に洋物のタトゥーを入れてたら、「俺のタトゥー」という曲になったのかもしれない。刺青は自分の人生にはハズせないんで、歌のテーマに相応しいかなと。
●「御命頂戴」の「パッパラ、パッパッパ〜♪」のコーラスも、従来のPULLING TEETHからも想像も付かなかったです。
寿々喜 ほんとビックリですよね? 自分でもビックリしましたもん。
●(笑)。
寿々喜 最初スタジオの個人練習で発声練習をやった時に、何となく「パッパラ、パッパッパ〜♪」という言葉が出てきたから、使っちゃおうかなって(笑)。
仁 このフレーズ、めちゃくちゃいいですよね! あるのとないのと、どちらがいい?と聞かれて、ある方がいいと。
●怖い怖いと恐れられていた寿々喜さんから、こんな無邪気なコーラスが飛び出すとは・・・。
寿々喜 ロックは子供の頃に憧れて始めたものだから。常に子供でいられる部分がロックなんですよ。それで自分も無邪気になろうと。子供の頃に音楽をやって、楽しいという気持ちがずっとあるから、ここまで続けられるんですよ。もし、「御命頂戴」のMVを作るとしたら、みんなでお酒を飲んで、「パッパラ、パッパッパ~♪」と言って、それだけで終わりますよ。
仁 それなら、いつもの飲んでる姿でいいじゃないですか(笑)。
●「此処にいるよ」は震災の曲ですね。
寿々喜 この曲はそうですね。それはいとこの兄さんの娘の話なんですよ。いとこの兄さんが探してる時に娘が浮いてきたらしくて。田んぼに自分の娘がいねえから、あちこち探し回って、一瞬だけ手が浮き上がって来たと。それでその辺を探したら、娘が出て来たんですよ。そういう歌です。だから、娘はここにいるよって。
●その話は本人から聞いたんですか?
寿々喜 本人からは聞けなかったですね。いとこの兄さんの娘の葬式があった時に、お婆さんからそういう話を聞いたんですよ。それがずっと頭から離れなくて・・・曲にしました。
●「オヤトコ」も自分の両親のことを歌った曲ですね。
寿々喜 自分の父ちゃんの歌ですね。自分も親になって、あの時に父ちゃんはこうだったのかなって、改めて噛みしめながら思い返せる曲で。大体、父ちゃんが亡くなった人は「寿々喜さん、いい曲だよ!」と言ってくれるんですよ。まさに演歌的な曲ですね。
仁 スーさん(寿々喜)の歌詞は一方的じゃないからいいですよね。震災の歌詞を歌っても、それ以外の事柄にも当てはまると思うから。
●「オヤトコ」はお経みたいな歌い回しですね。
寿々喜 そうっすか! いい捉え方しますねえ。別の人からも「このお経みたいなパートが」と言われて、レコーディングの時にもエンジニアにお経っぽくしてくれと言ったんですよ。そしたら、お経っぽいと言ってくれる人が多いから・・・通じるものがありますね。お経もお坊さんによって違いますからね。3年前に父ちゃんが病で倒れて、その葬式の時にやってくれたお坊さんのお経にハマッて、すげえなと。PULLING TEETHの時の俺の声よりすげえなと。話は逸れますけど、俺の方を向いて、「葉加瀬太郎、好きなんですか?」と聞かれましたからね。
仁 スーさん(寿々喜)の髪型を見て(笑)?
全員 ははははは。
寿々喜 ウチの母ちゃん側を見てくれるお坊さんだったから、仲が良かったのもあるんだけど。こんなシーンとしてる時に、ええっ!と思って(笑)。
●「世界のゴロツキ」のスキャット風のヴォーカルにも驚きました。
寿々喜 これは・・・ネタばらしになるから、やめておきます。ええと、小林亜星の・・・。
仁 喋っちゃってるじゃないですか(笑)。
寿々喜 せっかくですから! 小林亜星のウィスキーのCMの曲がかっこいいなと思って、ユーチューブで探したら出てきて、ニッカのウィスキーだったかな。これは最後にできた曲なんですよ。後藤さんが殺される直前ぐらいに書いた歌詞だから、世界に向けた歌詞になってるんですよ。
●ずばり、世界平和ですよね。
寿々喜 うん、世界平和なくして、ロックンロールは成り立たないから。日本にいて、ああ、幸せだなと実感しますよ。イスラム国は楽器をぶっ壊して燃やしてるじゃないですか。それに比べて、日本は幸せだなと。しみじみ思いますね。
●それと、アルバム名でもある「フッコーブシ」は今作の中で一番好きですね。
寿々喜 ありがとうございます。最後にある「フッコーブシを」という歌詞を言いたくて、そのために作りました。歌詞の内容もバンドをやるために上野駅から夜行に乗り、震災に遭ってしまい、復興に少しでも役に立ちたい。そういう思いが込められた曲ですね。この曲に自分のほぼ30年が詰め込まれてます。
●寿々喜さんの地元「石巻」という言葉も歌詞に入ってますね。
寿々喜 語呂が合わなくて「故郷」に変えた歌詞もあるけど・・・故郷、親の思い出だったり、それこそ演歌的なアプローチだからこそなせる業だなと。声も普通に歌っているけど、よくできたと思いますね。
泰治 このアルバムは「フッコーブシ」で終わりなんですよね?
寿々喜 うん。
泰治 最後の3曲は・・・。
寿々喜 思いつき!
泰治 いやいやいや(笑)。
●既発曲を日本語詞で歌ったラスト曲は、ボーナストラックみたいな位置づけですか?
寿々喜 そうっすね。日本語にしたのは流れで、アレンジも2バスの速いものを入れたり、テンポも速くしてますからね。
泰治 ドラムも替わったから、仕上がりもまた違いますからね。
●「Awake」は「起きろ」という曲名に変更されて、そのまんまですね(笑)。
寿々喜 直訳なりの難しさがあるんですよ。日本語詞にチャレンジして、やりやすさと奥深さを学びましたね。今回はほんとに素の自分に戻って歌えた曲ばかりですね。
INTERVIEW BY 荒金良介