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--では、ニュー・アルバム『The galaxy in a cell-独房の惑星-』についてうかがわせてください。全般的にはヘヴィでストロング、メタリックなハードコアのサウンドですけれども、広い意味でロックと捉えられるような、型にハマっていない音楽性だと思いました。イントロとアウトロにはヒップホップやテクノのような打ち込みやエディットが導入されていたり、デジタル・ロックとも言えそうな音作りもありますよね。今回はどんなアイデアをもとに作っていったんでしょうか。
MAMORU 最初の時点では何もアイデアはなかったんですよ。作っていくにつれて、自分の思っていることがアルバムに集約されていったという感じで。出来上がってから「オレ、こんなことを考えてたんだ」「こういうことを嫌だと思っていたんだ」って気付くことも多かったですね。
KENTA 1曲1曲いいと思うものを作っていった感じですね。だから曲ごとにコンセプトがある感じです。ただ、アルバム全体の流れはすごく考えました。やっぱり、同じようなものが続くと飽きると思うんで。バリエーションに富んだ内容にしたいと思いました。
MAMORU ちなみにイントロとアウトロは、MIC JACK PRODUCTIONのHALT.くんに作ってもらったんですよね。その時点では《独房の惑星》というアルバムのテーマが決まっていたので、そのイメージで作ってもらいました。
--それ以外の曲はやっぱり、MAMORUさんがKENTAさんにアイデアを伝えて、KENTAさんが具体的に曲に落とし込んでいった?
MAMORU そうです。オレは性格的に滅茶苦茶なところがあって。本当に滅茶苦茶なことばかり言ってましたね(笑)。
KENTA MAMORUさんは頭の中でいつも音が鳴っているようなタイプの人で。だから、曲のイメージは頭の中に明確にあるんです。ただ、それを表現することができないんですよ。だから、ぼくが汲み取って「こんな感じですか?」って提示するっていう。
MAMORU 難しいんですよね。頭の中ではリフも音程も音色も出来上がっているんですけど、それを言葉にすることができない。だからKENTAがいちばん大変だと思う。
--けっこう時間もかかりそうですね。いつから作りはじめたんですか?
MAMORU 2年くらい前から作ってましたね。
--今回はYUKIGUNIの新体制での初のフルレングスということで、意気込みも強かったと思いますが、どんな思いで臨みましたか?
MAMORU 基本的には「売れたい」ということですかね。それはもちろん、今流行っているものを取り入れて売れたいということではないですよ? 自分の表現したいものを理解してもらうために売れたいということです。
--ええ。
MAMORU 「売れたい」という気持ちを自分の中に持っていれば、それがモチベーションとなってクオリティーの高い音楽になるんじゃないかと思うんですよね。いい音楽を作れば、結果として売れるだろうっていう。
--間口の広さもありますし、ニューヨーク・ハードコアのリスナー以外の人でも入りやすいとは思います。
MAMORU オレはさっきも言ったようにニューヨーク・ハードコアに固執しているわけではないので。自分としてはその方が作りやすいところはあるんですよね。
--演奏も安定感があってノリやすいですよね。
MAMORU やっぱり一般の人でも身体がノレるようなものにしたかったです。
--録音もいいですね。
MAMORU 江別のスマッシュスタジオという、先輩がやっているレコーディングスタジオで録りました。SLANG やTHA BLUE HERBもそこで録っていて。エンジニアはちょっと頭のおかしい人なんですけど(笑)。
--さて、『The galaxy in a cell-独房の惑星-』というアルバムタイトルですが、歌詞の部分ではどんなコンセプトがあったんでしょうか。
MAMORU 簡単に言えば、1曲が一人の人生、みたいな感じになっているんですよ。曲それぞれが人生の中のワンシーンを切り抜いたものになっていて。人生には悲しいことや辛いこと、楽しいこと、いろいろありますが、ここでは特に悲しいことを題材にしていて。それで《囚われの身》というような表現をしたんですよね。
--どうして悲しいことにフォーカスを当てたんでしょうかね。
MAMORU それはオレ自身、悲しいことに対して敏感なところがあって。裏返せば、楽しいことにも敏感なんですけれども。要は、落ちやすいタイプなんですよね。もしかしたら、悲しいものが好きなのかもしれないです。SIONさんとか、ああいうブルージーな音楽が大好きで。ああいう歌詞にグッとくるんですよね。
--MAMORUさん自身、今の世の中を悲惨な状況だとか、過酷な状況だと考えている?
MAMORU 考えています。──これはちょっと面倒くさい話なんですけど、「人間が死を選んだ」という考えに基づいているんですよ。「死を選んだ」というのはどういうことかというと、大昔の生物はミトコンドリアみたいに細胞分裂しながら存在していたわけですよね。だけど、人間は誰かと誰かがセックスすることによって世代を受け継いでいる──つまり、死ぬことを選んだという考え方なんです。それと同時に悲しみも増えていったという。で、人間がそれを選んだのは、実は地球がそうさせたんじゃないかと。それで、「オレたちは地球の中に囚われている」っていう。その話の前提で、地球の中に生きている人の人生の一部分を歌詞にしました。それは自分が思っていることでもあるんですけどね。
--地球という超越した存在が、ぼくらの細胞レベルの運命から感情までを操っていると。
MAMORU そういう感じです。
--すごい話ですね(笑)。それはMAMORUさん独自のお考えなんですか?
MAMORU えっとね、やしきたかじんのテレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」でやっていました。
一同 ワハハハハ!!
--コンセプトはそうとして、中には《生き地獄》というフレーズも出てきますし、MAMORUさん自身、生きづらさを感じているということですよね。
MAMORU う〜ん、生きづらさはあんまりないかもしれないですね。むしろ、生きやすいと思っています。どちらかといえば、余計な苦しみが多すぎる、というか。世の中には事件や事故だったりが多いじゃないですか。
--ではコンセプトありきで、世の中の悲惨な出来事や過酷な状況を収集したということですか。
MAMORU そうですね。オレ自身は今、結婚して子供もいて幸せに思っているんですけど。でもやっぱり幸せなことばかりではないし。世の中には生きにくい人もたくさんいるだろうし。その中で、悲しいことにフォーカスを当てて人生のワンシーンを描いたという感じですね。それで、それは人間が引き起こしたものではなくて、地球のせいなんじゃないかという。
--よく分かりました。ちなみに、自分が体験したこと以外のエピソードについてはどんなふうに作っていったんですか?
MAMORU 映画やドラマ、ドキュメンタリー番組とかですね。その中で自分が思っていることとリンクした部分をメモに書き残して。そこから広げていく感じですね。
--世の中の悲しい出来事をある種ジャーナリスティックに描写したり、その中でも連帯意識をもって頑張って生きていこうと歌うところは、やはり札幌のSLANGやOi!/スキンズ系のバンド、あるいはブルー・ハーブにも通じると思いました。その中で独自性も見出そうとしているというか。
MAMORU そうだと思います。やっぱり札幌の上の世代にはかなり影響を受けたので。自分の表現の一つとしてうまく取り入れたいというのは思っていますね。
--その中で、自分らしさということに関してはMAMORUさん自身、どのようにお考えですか?
MAMORU それがですね、オレ、自分らしさというものが分からないんですよね。ちょっと変な話なんですけど、音楽に携わっているMAMORUと、一般生活を営んでいるスズキマモル、どっちが本当の自分なのかが分からなくて。もう、病院に行った方がいいんじゃないかと思うくらい。周りからは「考えすぎだ」って言われるんですけど。
KENTA MAMORUさんは繊細なんですよ。人の痛みをすごく分かる人というか。すごく人のことを考えていますね。そして自分が思っていることをうまく伝えられないんですよ。いい意味で不器用なのかなって思いますね。
IAN MAMORUくんは自分のこと以上に他人のことを分かっているところがあって。例えばぼくが悩んでいるときとか、「IANはこうだからこうなるんじゃない?」って言ってくれたり。人一倍、人のことを見ているし、世の中を見ていて。そしてそれを受け入れる心をもっているというか。
KENTA 外見とのギャップがある(笑)。
IAN すごく優しいんですよ。だからメンバー以外にもMAMORUくんを慕っている人は多いです。
MAMORU 自分のことは後回しにするところがあるのかもしれないですね。だからなんか、もう一つ地球があったらいいなと思いますね(笑)。余計なことを考えなくてもいい地球。オレは人のこととかを考え過ぎて、もうワンステップ進めないところがあるから。どうしてなんでしょうね。もう、そこらを歩いている人がどんなことを考えながら歩いているのか、これまでどんな人生を歩んできたのか、とかけっこう考えちゃうんで。その人の人生観を勝手に想像しちゃう。
--それは歌詞を書く上での一つの才能かもしれないですね。
MAMORU そうだったらうれしいですね。よくやるのは、街の交差点の真ん中に立って、周りを歩いている人を眺めるんですよ。そうすると、普段は気に留めないようなことも見えたりするんですよね。
--ちなみに、今回の歌詞でいちばん言いたかったことはなんでしょうか。
MAMORU 14曲目の「Mothership:Earth(地球船)」の歌詞は2年前からずっと考えていたことで、うまく言えたなって思いますね。オレは歴史資料館に行くのが好きで。人間が狩りをしていた時代から文明社会に移り変わっていく過程とか、この曲ではそういうことを題材にしています。いいか悪いかは分からないけど、みんな地球という船に乗ってそれぞれの人生をおくっているという。
--希望も含みつつ、最後は《踊らされた人間の道》というフレーズで締めくくられますね。
KENTA その後の「OUTRO」にはドアの閉まる音が入っているんですけど、それは独房の扉が閉まる場面を表していて。結局はみんな囚われているということですよね。
--では最後に、今後の展開についてうかがわせてください。アルバムが発売された後はどんな活動を予定されていますか?
MAMORU ライブをやりつつ、新しい曲も作って、またレコーディングしたいですね。今までできなかったこととか、もう一歩発展させたことをやってみたいです。
--全国ツアーの予定は?
MAMORU 11月にSLANGと回る予定があります。
--けっこう先になるんですね。
MAMORU アルバムを作ったことでライブに対するモチベーションは上がっているんですけど、同時にステージに立つことへの恐怖感もあるんですよね。失敗したらどうしよう、みたいな。だから、なるべくツアーには行きたくなくて…。
KENTA ほかのメンバーはすごく行きたいんですけどね。
MAMORU できれば家から出たくない(笑)。
IAN なんでバンドをやってるんだ?っていう(笑)。
MAMORU たぶん、ライブの楽しみ方をまだ分かってないんだと思う。
IAN 10年以上やってるのに(笑)。
--ライブをやっていて楽しいと思った瞬間はないんですか。
MAMORU ほぼ、ないですね。たぶん無理してるんですよ。さっきも言ったように自分の中に二つの人格があって、どっちが本当の自分か分からないんですよ。
--男らしいストロングなボーカルスタイルですけど、あれはMAMORUさんの本来の自分ではないんですか。
MAMORU あれは偽物かもしれない。この前、テレビで生前の横山やすしさんが「自分は横山やすしを演じている」って言ってて。その話にすごく共感したんですよね。結局、ステージではYUKIGUNIのMAMORU像を演じているのかもしれない。カッコいいことをしようとは思っているんですけど、それが楽しいかといえば分からないという。
--一度、まっさらなMAMORUさんの表現を見てみたいです。
MAMORU 今後はもっと音楽を楽しめる自分になりたいですね。余計なことを考えないでストレートに表現できるようになりたい。そうすればもっと音楽の幅も広がるだろうし、もっとお客さんにも伝えられると思います。うん、もうちょっと自然にいきたいというのはあるかもしれない。
INTERVIEW BY indies issue 岩崎 一敬
--では、現在のメンバーの経歴、影響を受けている音楽、YUKIGUNIへの加入の経緯をそれぞれうかがわせてください。まずはKENTA(G)さん。
KENTA ぼくが音楽を始めたきっかけは、小学校5年生の時に兄が聴いていたガンズ・アンド・ローゼス。そこからエアロ・スミスとかレッド・ツェッペリンとか、王道のハード・ロックから入っていきました。そして親にギターを買ってもらって。初めてバンドを組んだのは小学校6年生の時。そして中学生の時に初めてライブをやりました。
--早いですね。
KENTA その後は、高校生の時に今のベースのMASAHIROとメロコアのバンドをやり始めて。それが初めてのオリジナルをやるバンドですね。地元は江別なんですけど、札幌のライブハウスでライブをしていました。あとは雑誌のオーディションに出てみたりとか。それから、20歳の時にロスアンゼルスにあるギターの学校に留学をしまして。2年間ギターを学んで、今は江別でギタースクールを経営しています。
--そうだったんですね。
KENTA YUKIGUNIは、高校生の時からCDを聴いて知ってたんですよ。それで、ロスから帰ってきた時にSNSでメンバー募集をしているのを見て、連絡をしたという流れですね。MAMORUさんとはそこで初めて会いました。
--以前はメロコアのバンドをやっていたということですが、YUKIGUNIのような音楽も好きだったんですね。
KENTA はい、ぼくは雑食で。ハード・ロック以外にもピストルズのコピーバンドをやっていたこともあります。YUKIGUNIは、ぼくが知っているパンクやハードコアのバンドと比べて演奏がしっかりしているなって思ってましたね。加入してからは、自分の持ち味をいかにYUKIGUNIに提供できるかを考えて曲を作っています。今回のCDも、いわゆる王道のニューヨーク系のハードコアではないじゃないですか。
--そうですね。
KENTA だから、いかに新しいものを取り入れるか、常に考えてますね。今回はアコースティック・ギターのインスト曲もあるじゃないですか。
--ちょっとフラメンコっぽいギタープレイですよね。あれはなかなかほかにはないですよね。
KENTA あれも、MAMORUさんの好きな音楽と新しいメンバーの色をいかにミックスさせるか、というのを考えて作ったもので。それが結果としてハードコアではなくてもOKというか。そういう意味では、ぼくもハードコアについては精神論だと思ってますね。いかに真剣に向き合っているか。そういう意味では楽器を真剣にやっている人はみんなハードコアだと思っています。
--ではKEN-ICHI(G)さん。
KEN-ICHI 音楽を好きになったきっかけは、小学校高学年の時に観たBUCK-TICKとかLUNA SEA。そこから中学生まではビジュアル系のメタルを貪欲に聴いていました。ギターは中学1年の時にお年玉で購入して、ひたすら家で練習して。バンドは高校の時にコピーバンドをやる程度でした。そこでやっていたのはいわゆる流行の音楽でした。でも、それは友達に誘われてやっていた感じで、個人的にはメタル等の激しい音楽をやりたくてバンドをやめて、大学生の時はずっと音楽から離れていました。YUKIGUNIに加入したのは6年前で、自分が社会人になって1年目だったんですけど。社会人になったばかりで、いろいろ悩みも多かったんですよね。とにかくムシャクシャしていて。無性に、昔好きだった激しい音楽をまた聴きたくなったんですよね。そんな時に、大学のころに友達が「ぼくみたいな人がいっぱいいるライブハウスがあるよ」って教えてくれたのを思い出して。その人とはパンテラとかの話をしていたんで。「札幌にSLANGっていうハードコア・バンドがいる」っていうのも聞いていたんですよ。それで、仕事帰りにカウンターアクションに行って、KOさんがボーカルになってからのアルバムを買って。それからですね。SLANGのライブを観に行くようになって3回目くらいに、KOさんから「オマエ、デカイな」って声を掛けられて。ぼくは身長が188cmくらいあるんですよ。「オマエ、バンドやってんの?」って聞かれて、「やってませんけどギターは弾けます」って言っちゃったんですよね。「どんなギター弾くのよ?」「メタルが好きです」って。そしたら「YUKIGUNIっていうバンド、知ってるか? オマエ、入れ」って言われて(笑)。その場に入ったばかりのIAN(Dr)がいて、連絡先を交換しました。ぼくはあまりに急な話でびっくりして、その日はこっそり帰ったんですけど。そしたらIANから「一回、スタジオに遊びに来ませんか?」ってメールがきて。意外とかわいい文面だったからスルーするのも悪いかと思って、スタジオに行ってみたんですよ。そしたら「YUKIGUNIの再始動一発目のライブがもう決まったから」って言われて。なんとなく入ることになってしまいました(笑)。
--KEN-ICHIさんはメタルが好きなんですね。
KEN-ICHI そうですね。でもいちばん好きなのはSLANGです。
--それではIAN(Dr)さん、お願いします。
IAN 音楽は子供のころからいろいろ聴いていて。お父さんがイギリス人なんですけど、完全にウッドストック時代のヒッピーなんですよ。キャンプに行く時とか、家でもずっとロックンロールが流れていて。子供のころからジョー・コッカー、ビートルズ、ジミ・ヘンドリクスとかを聴いていました。中学の時はイギリスの学校に行ったんですけど、そこがスラムみたいなところで、荒れていて。その時に激しい音楽が好きになったんですよね。ぼくはハーフだから、こっちでも外人みたいなんですけど、あっちでも外人みたいな扱いを受けて。すごくストレスが溜まっている中で、自分の部屋ではストリート系の怖い音楽ばかり聴く、みたいな。最初はリンプ・ビズキット、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、スリップノット、コーンとかメジャーなものばかりだったんですけど。あとはヒップホップもよく聴いていました。2パックが特に大好きでしたね。それから日本に戻ってきてインターナショナル・スクールに入って。そこには音楽性の合う友達もたくさんいて、ニューヨーク・ハードコアにどっぷりと浸かるようになりましたね。昼休みとか、音楽室で爆音で聴いていました(笑)。ドラムは中3から始めていたんですけど、その学校でコピーバンドを組んで。最初はグリーン・デイ、ランシドとかから始まって、その後はマッドボール、サブゼロ、テラーとか。それから「札幌にSLANGっていうバンドがいるらしいよ」っていう話になって、みんなでカウンターアクションにライブを観に行ったんですよね。もう、「なまらカッコいい!」みたいな。とにかく勢いが凄くて、男らしいし、自分が求めているものがそこにありましたね。パズルが完成したような感じでした。それで、自分たちでもそういうバンドを組んで、17歳の時にカウンターアクションでライブをやったんですよね。それはニューヨーク・ハードコアに近い音で、マッドボールのカバーもやったんですけど。なんか「極悪ニューヨーク・ハーフ集団」みたいなあだ名がついて(笑)。高校生の外人の集団がハードコアをやってるらしいよ、みたいな噂が広まって。そこからいろいろ呼んでもらえるようになりました。MAMORUくんともその時期に知り合って。それから、日本を離れてイギリスの大学に入ったんですけど、そこではハードコアを好きな人が周りにいなかったらバンドができなくて。それで、ボイス・パフォーマンスとか、あとはヒップホップも好きだったからラップをやったりしていました。そしてまた日本に戻るっていう時に、どうしてもカウンターアクションに行きたくて、スーツケースを持って空港から直行したんですよね。そしたらMAMORUくんがいて。「YUKIGUNIのメンバーがいないから入ってくれ」って言われて。ぼくはYUKIGUNIのファンだったけど、ずっとドラムをたたいてなかったからちょっと悩んだんですよね。やっぱりYUKIGUNIの看板を背負うことになりますし。でも、やりたい気持ちが強かったんで、その翌日に「やります」って。そして今に至る感じです。
--それではMASAHIRO(B)さん。
MASAHIRO ベースを始めたのは、中学生の時にGLAYのライブを観に行ったのがきっかけですね。ベースのJIROさんが輝いて見えたんですよね。最初の方は「モテたい」とか、わりと安易な動機だったと思います。だから中学の時はGLAYのコピーバンドをやっていました。それで、KENTAが学校は別なんですけど同級生で。彼は当時からすごくギターがうまくて、「こんなにうまいやつが同年代にいるのか」って思いましたね。リスペクトも込めていろいろ話をするようになって、仲良くなりました。それからKENTAを含めた周りの友達からレッド・ホット・チリ・ペッパーズ、リンプ・ビズキット、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとかを聴かせてもらって。あとはニルヴァーナ、グリーン・デイとかもよく聴いていました。高校からはKENTAと同じ学校になったんですけど、HAWAIIAN6、Hi-STANDARDとか、速い音楽にのめり込むようになりました。バンドは、ぼくがベースとボーカル、KENTAがギター、あともう一人のドラムで、カウンターアクションでライブをやるようになって。それはHAWAIIAN6、locofrank、SNAIL RAMPとかの曲と、オリジナルの曲もやっていたんですけど、とにかく速ければいい、みたいな感じでやっていました。高校を卒業してからは、KENTAがアメリカに留学したので、ぼくは音楽の専門学校に入って。そこで出会った人たちとバンドをやっていたんですけど、それはアメリカの西海岸系のメロディック・パンク──ノー・ユース・フォー・ア・ネーム、グリーン・デイ、オフスプリングみたいな曲をやっていました。その時はカウンターアクションとはまた別の、コロニーというライブハウスでよくやっていたんですけど。それでしばらくして、KENTAがアメリカから帰ってきてYUKIGUNIに加入するんですけど。ある時、「ベースが辞めたんだよね」っていう話を聞いて。ぼくはハードコアの世界をまったく知らなかったので、YUKIGUNIのライブを観て「こんなにおっかない人たちがいるんだ」って思ったんですけど、音楽の部分はカッコいいなって思って。自分はそれまでメロディック・パンクとかポップな音楽しかやったことがなかったけど、また新たな挑戦ができると思って、加入しました。最初のころは演奏面で悩むところはあったんですけど、MAMORUくんは「いいじゃん、好きにやれば」って毎回言ってくれるんですよね。やっていくうちにどんどん楽しくなっていきました。
--YUKIGUNIは各メンバーのいい部分を取り入れていきたいということですからね。最初にこのメンバーで音を合わせた時の印象はいかがでしたでしょうか。
MAMORU みんな、うまいなって思いましたね。それは技術面もそうだし、人間性もそうで。というのは、YUKIGUNIを最初に始めた時って、ノリとか、楽しければいいとか、あんまり考えていなかったんです。メンバーが突然スタジオに来なくなったりすることもよくあって。そういう意味では、今のメンバーはわりとしっかりしているんですよね。人間関係もうまくできるメンバーというか。だから、やりやすいなって思いましたね。あとは、自分がこの中ではいちばん年上なので。以前は同級生とやっていたのでぶつかることも多かったんですけど、今は「こういうことをやりたい」って言ったら、みんな従ってくれるというか。歌詞を日本語で歌うことについても、以前はメンバー間で意見が分かれてできなかったんですけど、今はできるようになりましたね。
--では、次回はいよいよニュー・アルバム『The galaxy in a cell-独房の惑星-』についてお話をうかがわせてください。
INTERVIEW BY indies issue 岩崎 一敬
Vol.3 へ続く
--まずは、YUKIGUNIのリーダーで唯一のオリジナルメンバーであるMAMORUさんが札幌のハードコア・シーンに入っていった経緯から教えてください。
MAMORU 出身は江別という札幌の隣にある所なんですけど。YUKIGUNIを始めたのは中学生の時。どうしてドラムだったかというと、好きな女の子に「オレ、どの楽器が似合う?」って聞いたら、「ドラムがいいんじゃない?」って言われて(笑)。
一同 ワハハハ(笑)。
MAMORU まぁ、体格が前からこういう感じだったんで。最初はBOOWYとかJUN SKY WALKER(S)のコピーバンドをやっていました。江別は田舎で情報がなかったから、当時はそういうものがパンクだと思っていたんですよね。それから高校生になって、友達の先輩からヌンチャクのCDを聴かせてもらって。「こんなにハードな音楽があるんだ」って知って。そこからGARLIC BOYSとかHi-STANDARDも聴くようになった。それである時、HUSKING BEEがツアーで札幌に来ることがあって、自分も観に行ったんですよ。そこに出ていたのがSLANGだった。当時、KOさんがギターからボーカルになってまだ1年に満たないころだったんですけど、「これが本当のパンク/ハードコアなんだ」って思って。衝撃を受けましたね。それで自分も札幌でこういうバンドをやってみようと。
--SLANGの特にどんなところに衝撃を受けましたか。
MAMORU まず、何を歌っているのかが分からないじゃないですか。それでも突き刺さったんですよね。こういうやり方もあるんだって思いました。なんか、「オマエもやっていいんだぞ」って言われているような気がして。コピーバンドで縮こまっていないで、もっと自由にやっていいんだなって。それからオリジナルの曲をやるようになりました。
--ではハードコアの影響としてはSLANGがいちばん大きい?
MAMORU そうですね。それ以前のハードコアとかはほとんど聴くことなく、いきなりSLANGでしたから。ただ、楽曲の部分としては、最初のころはヌンチャクとか、ミクスチャー寄りでしたね。それからニュースクールと呼ばれている音楽──パンクとメタルがミックスしたような音楽性になっていきました。
--SLANGのKOさんと初めて話をした時のことを教えてもらえますか。
MAMORU YUKIGUNIのカウンターアクションでの初ライブをKOさんが観に来てくれて。ライブ前に挨拶をしたら、いきなり一発殴られたんですよ(笑)。
--それは札幌のバンドの通過儀礼のようなものなんですかね(笑)。
MAMORU ほとんど体育系の世界ですからね(笑)。
--ライブの感想とかは何か聞きましたか?
MAMORU その時は何も言われなかったんですけど、ちょっと経ってからはよく言われました。「とりあえずダサイ」みたいな(笑)。当時はまだパンクの流れにあるハードコアの人たちがたくさんいて。ウチらはどちらかというとパンクを通っていないハードコア集団だったから。なかなか理解されなかったですね。
--YUKIGUNIが結成された99年というのは、国内でもニュースクールが盛り上がりはじめた時期ですよね。札幌にはほかにもニュースクール系のバンドはいたんでしょうか。
MAMORU ANSWER 2 NO ONEとFROM ONE STEPというバンドがいました。でも、そんなに仲がいいわけではなかったですね。彼らはアグノスティック・フロントとかマッドボールみたいなことをガチでやっていたけど、オレらはヌンチャクの流れもあって、ちょっとユーモアの要素もあったから。だからオレ、友達があまりいなくて。カウンターアクションにも一人で行っていましたね。
--MAMORUさん自身、ニュースクールへのこだわりはあったんですか?
MAMORU う〜ん、そういう概念はなかったかもしれないです。ジャンルとかは関係なしに、人の集まるところに行ってましたね。友達がいないもんだから、寂しさを紛らわすために。
--では、ニュースクール系のサウンドに変化していった経緯は?
MAMORU もともとのギターの人が、スレイヤーとかメタリカを好きで。メタルとハードな音をミックスさせていくうちに自然とそっちの方向に行った感じですかね。最初のデモはヌンチャクみたいな感じだったんですけど、二つ目のデモはどちらかといえばスレイヤーのような感じでした。
--ニューヨーク・ハードコアの影響は?
MAMORU ぶっちゃけて言うと、ほとんど聴いてなかったです。今でもあまり聴かないです。
--マインドの部分ではハードコアに対するこだわりはあった?
MAMORU そうですね。周りにいるANSWER 2 NO ONEとかFROM ONE STEP、上の世代のSLANGやFACE OF CHANGEに負けたくないもんだから、そういう意味で「自分たちはハードコアだ」って言い続けていた部分はありました。やっぱり自分たちはパンク出身ではないハードコア集団だったから。やり続けていくことで分かってほしい、みたいな。自分にとってのハードコアのマインドというのは、《自分の人生を曲げないこと》みたいな感じですね。やっぱりSLANGに衝撃を受けて「自分なりの表現をするんだ」ってやり始めたわけで。例えば、当時はバンドをやめてヒップホップやクラブの方へ流れていく人も結構いたんですよ。でも、自分は自分の思ったままにやり続けようって思っていました。
--ちなみに、SLANGは『SAPPORO CITY HARD CORE』を掲げていますが、YUKIGUNIはいかがですか。
MAMORU 札幌のバンドはみんなそういう意識があると思うんですけれども。オレもすごく憧れましたね。最初はKOさんに「『SAPPORO CITY HARD CORE』って使うな」って言われて。たぶん、ふわふわして見えていたんでしょうね。でも、オレは「やり続ける」っていうメッセージをずっと発していて。そのうち認めてもらえるようになりました。
--東京から見ていると、SLANGが札幌の大将だとすればYUKIGUNIは若頭という印象がします。
MAMORU あぁ、そのイメージを作ったのはきっとKOさんでしょうね。ちょっとは自覚もあるけど、そういうふうにオレを洗脳したのはKOさんだと思います(笑)。
--では、MAMORUさんが思う札幌のシーンの魅力とは?
MAMORU よく言われていることではありますけど、ジャンルがないんですよね。特に自分たちが最初に音楽を始めた時は、ジャンルごとの区切りがまったくなくて。Oi!とかメロコアとの対バンは普通にあるし。バンドが好きな人なら誰でも集まっていい、という空気があるんですよね。それは札幌ならではの魅力だと思います。
--YUKIGUNIの音や歌詞には、そういう環境がすごく反映されている気がします。SLANGのようなハードコア、壬生狼のようなOi!/スキンズ、そしてTHA BLUE HERBのようなヒップホップの人たちもいて。その中で揉まれながらも独自性を見出そうとしてきたところがあるんじゃないかと。
MAMORU まさしくその通りですね。「揉まれながら」という感覚は分からないんですけど、またちょっと違った自分たちなりの色を付けたいというのはすごく思っています。同じことはしたくない、ということはいつも考えていますね。
--札幌はそういうバンドが多いですよね。
MAMORU そうですね。個性派というか、音楽的に挑戦するバンドが多いですね。やっぱり、売れたバンドに追随するんじゃなく、独自の音でカッコいいと思われたいというのはあります。売れるということと魂を込めてステージに上がることはまた別の話ですから。
--さて、2008年にMAMORUさん以外のメンバーが脱退してしまいましたね。
MAMORU はい。みんな社会的にしっかりとした地盤を築きたかったんでしょうね。収入の面でもバンド活動を負担に感じていただろうし。オレは自分の作りたい音楽をもっと続けたい気持ちがあったので。ドラムからボーカルにパート・チェンジをして再びやり始めましたね。
--パート・チェンジをしたのはどうしてだったんですか。
MAMORU SLANGのKOさんも、もともとはギターを弾いていたのにボーカルに変わったじゃないですか。それを見ていたから自然だったというか。YUKIGUNIも、バンドの顔というのがボーカルよりもドラムのオレの方だったんですよ。だったらオレが前面に立って歌ってしまった方が早いんじゃないかなって。まぁ、そもそもドラムを始めたきっかけも、好きな女の子に「ドラムがいいんじゃない?」って言われたからだし。9年間、一生懸命頑張ってやってはいたけど、それほどドラムが好きではなかったのかもしれない(笑)。
一同 マジか(笑)。
MAMORU けっこう無理をしてやっていたのかもしれないですね。
--どちらかといえばボーカルに憧れていた、とか?
MAMORU そうですね。ボーカルには憧れていました。やっぱり高校生の時はカッコいいやつがボーカルになることが多かったから。でも、ボーカルになってよかったと思いますね。機材もないし(笑)。その代わり、精神面のケアや体調の管理はボーカルの方が大変ですけど。
--ボーカルの方が自分の思いやメッセージをより直接的に伝えることができますよね。
MAMORU そうですね。今までは自分の思っていることが言えないもどかしさがあったので。ボーカルになったことで自由に表現できるようになりました。
--ちなみに、メンバーがみんな脱退した時、バンドを解散させようとはまったく思わなかったですか。
MAMORU まったく思わなかったですね。というのは、それ以前もオレが一人で動いていたようなものだったので。でもまぁ、自信があったか?と言われると、そうでもなかったと思います。
--とにかく「やるんだ」という思いが強くあったと。
MAMORU はい。まぁ、馬鹿の一つ覚えみたいな感じですよ。
--それで、新しいメンバーはどのように集まったんでしょうか。
MAMORU 最初はメンバー募集のビラ配りをしたんですよ。そしてまず、前のベースが連絡をしてきて。その人がインターネットで広く呼びかけて、ほかのメンバーが集まったという流れですね。
--ちなみに、あらためてYUKIGUNIを始めるにあたって、どんなバンドにしようと思いましたか。
MAMORU 一人一人の長所をミックスするようなバンドにしたいと思いましたね。
--曲はどなたが作っているんですか?
MAMORU 歌詞は全部ぼくが書いているんですけど、曲に関しては、ぼくとKENTA(G)が基盤となるアイデアを作って、そこからみんなで詰めていく感じです。ぼくはギターを弾けないし、コードもよく分からないから、KENTAに「ガチャンっていう感じでやってくれ」みたいな伝え方をするんですよ。それをKENTAがなんとか汲み取って音にして、メンバーに伝えるっていう。
--ベースとドラムの個性はどんなふうに反映されていると思いますか。
MAMORU それは人間性ですね。バンドって人間性も大事じゃないですか。いい人間関係が築けていないと続かないものだから。そういう環境を作ってくれるのが今のベースとドラムだと思います。ギターは音楽を作る才能のある人。で、オレは、ただ思ったことを言う人(笑)。簡単に言えば、オレが適当に描いた絵を、具体的に音楽で表現してくれるのがKENTAで、その絵を「カッコいいですね」って盛り上げてくれるのがベースとドラムっていう(笑)。
--では、次回は現在のメンバーの経歴、影響を受けている音楽、YUKIGUNIへの加入の経緯をそれぞれうかがわせてください。
INTERVIEW BY indies issue 岩崎 一敬
Vol.2 へ続く