当サイトは、ブラウザのJavaScript設定を有効にしてご覧ください。

PULLING TEETH 7th full album -フッコーブシ- 2015.05.13 in stores!!


Vol.03 演歌は心の故郷に帰るような感覚がある

●そして、前作から今作まで約6年空きましたね。

寿々喜 前作以降、自分のことを言えば仕事を探してました。40歳過ぎて職を探すのは至難のわざで、それに明け暮れてましたよ。「フロムA」を見たりして、音楽どころじゃなかったですね。なかなか落ちついて、バンド活動もできなくて。前作のツアー後は年に5、6本ぐらいしかライヴやらなかったよね?

泰治 そうですね。ペースは落ちましたね。

●今作にも繋がる部分だと思いますが、11年の震災の影響がやはり大きかった?

寿々喜 自分はでかかったですね。震災が起きた日も普通に仕事をしてましたからね。で、今回は日本語詞でわりと演歌風なことを意識したけど、実は震災前に2曲ぐらい作ってたんですよ。その時から自分の中で「演歌やりてえなあ」と思ってたんですよ。

●そうだったんですか!

泰治 前作のツアー中にもちょこちょこ出ていたキーワードでしたね。演歌、打ち上げで寿々喜さんが歌うトラクターの歌とか。

ははははは。いろいろ歌ってますね。

泰治 だから、演歌的なところに関しては震災とあまり関係ないですよね。

寿々喜 うん、アプローチの仕方はね。アルバムの内容は震災があって、そこで運命づけられたところはあるけど。震災前に次のアルバムを出せるなら、こうしたいという意識はありましたね。

●ちなみに震災前にあった2曲というと?

寿々喜 「男」と「フッコーブシ」かな。その2曲は原形ができてたんですよ。でも歌が乗るまでは想像付かなかったでしょ?

泰治 はい、どうなるかはわからなかったですね。まあ、まさか寿々喜さんが着物を着るわけじゃないだろうし(笑)。

●寿々喜さんが演歌をやりたいならどうぞ、みたいな感覚ですか?

泰治 はい。「演歌が気になるんだよね」と言われた時も、「ああ、そうなんですね」って。ただ、今回はできあがるまで、どんな内容になるか全くわからなかったです。

●寿々喜さんはなぜまた演歌をやりたいと思ったんですか?

寿々喜 う~ん、演歌というのは昔からあるものじゃないですか。父ちゃんが演歌好きだったし、小さい頃から耳に馴染んでますからね。テレビ、ラジオからも演歌が流れてくるし、特別な音楽でもないと思うんですよ。改めて聴くと、何か引っかかるものがあるんですよね。何だろう、小さかった自分を思い出しているのか・・・それはわからないけど、演歌は心の故郷に帰るような感覚があるんですよ。それもチャレンジ精神でしょうね。演歌と言っても、いわゆるフラットバッカーがデビューした頃はああいう楽曲にすげえビブラートを効かせた歌が入って、よく演歌とか言われたけど、あれとはまた違うものだと思ってる。今思い出したけど、前作を出した時に、いつまでに歌を上げてもらえますか?と言われて、そんな期間でやれるわけねえじゃんって、一度ツッパねたんですよ。でもリリース日も決まっているから、この期間で終わらせたいと。で、個人練習にも入ったけど、自分の声を掴み切れないまま世に出した悔しさというか、反動もあったんですよね。

●前作収録の「SLUGHTER TRAIN」でもメロディアスな歌声にチャレンジしてましたからね。

寿々喜 今思うと、もっとやれたんじゃないかなと。

●それでバンド的には10年間、PULLING TEETHの屋台骨を支えてきた智也さんが抜けて、仁さんが加入しましたね。

寿々喜 サポートでやってとお願いしたその日にメンバーになりましたからね(笑)。

●それが東北で開催された「AIR JAM 2012」の東北ライブハウス大作戦STAGEですよね?

寿々喜 そうですね。前日にリハに入って、ライヴ2、3本あるから、サポートでやってよ?と言って、次の日に「おまえメンバーだろ!」って。

付き合いが長いので、やり口はわかってましたけどね(笑)。覚悟してサポートもOKしました。

●仁さんに声をかけた理由は?

寿々喜 「AIR JAM」も仙台でやるし、照井君は盛岡に住んでるし、近いからいいかなって。「仙台まで1時間でしょ?」って。

●仁さんはPULLING TEETHに加入して、いかがですか?

楽しいですね。

寿々喜 知り合って長いから、普通すぎちゃって。

16、17歳の頃から寿々喜さん、泰ちゃんと会ってるし、自分がPANORAMA AFROをやめた後も連絡を取り合ってましたからね。

泰治 初めて音合わせをした時にもすごく馴染んでたんですよね。

そう。だから、リハに入ってもあまり練習させてもらえないんですよ(笑)。「おまえはできるからいいだろう!」って。

寿々喜 1回入れば、大体その人の力量はわかるんですよ。

一度やったことがなかった曲がライヴのセットリストに入ってた事件もありましたけどね(笑)。

●では、今作の制作はいつ頃から始まったんですか?

寿々喜 震災前にあった2曲は、震災以降にアイデアが吹っ飛んじゃって。自分もバンドを続けられるかどうか、瀬戸際でしたからね。実際、曲作りを始めたのは照井君が入ってからですね。

●ああ、そうなんですね。

SLANGのKOさんから一昨年の秋ぐらいに話をもらって、「良かったら、ウチ(IN MY BLOOD RECORDINGS)から出さない」と言われたので、それをスーさん(寿々喜)に伝えたんですよ。で、よろしくお願いします!と。

寿々喜 即決でしたからね。俺はKO君と知り合って長いけど、ほとんど話をしたことはなかったんですよ。ただ、震災の時に鉄槌のドラムの千葉君経由で、KO君が物資を回してくれたので、非常に有り難い親分みたいな存在だから、その人が誘いを断る理由がないと思って。ほんとに結構な数の物資を回してくれましたからね。

●そうなんですね。それから現3人でアルバム制作に入った?

寿々喜 そうですね。最終的に去年の11月に歌作りを始めたんですよ。

●わりと最近なんですね。

寿々喜 そうなんですよ。オケが完全に決まってから、歌を乗せようと思って。

●いつも通り、作品を作る上ではメンバー間であまり話し合うこともなく?

泰治 はい、そうですね(笑)。

「やっていいですか?」、「ああ、いいよ!」って感じですからね。

寿々喜 演歌風に歌おうと決めていたけど、実際は浮かんで来るまで待ってたという表現の方が正しいですね。降りて来たら、そのメロディを録音して、形にする。それから歌詞を書きました。歌詞も浮かんでくるまで待って、よし来た!と思ったら、一気に7曲ぐらいできたんですよ。流れるように言葉が出てきちゃって。